緊急研究室

ド新規限界オタクが推しというビッグデータを考察するポエッポエブログ

冷凍チャーハンラプソディー

冷凍チャーハンを最後の晩餐にしたい。



冷凍チャーハンに対しては、本人がいつ開設したかも覚えていないようなブログの新エントリに選ぶに足る情熱がある。ここ、アイドル考察ブログにするつもりだったのに。

先日数年ぶりに冷凍チャーハンを食べてからというもの、ここ一週間最低1食が冷凍チャーハンである。

冷チャーすごい。思えば冷凍チャーハンは、私の記憶上最古かもしれない「思い出の味」なのだ。多分。「母が熱でダウンした時に滅多に料理しない父親が得意気に作ってくれたナッツ入りナポリタン」といい勝負だと思う。冷チャーが私の思い出の味であることは、恐らく家族の誰も知らないけれど。


冷チャーと私の出会いは未就学児のときなので、地元の幼馴染くらい付き合いが長い。しかも、顔を合わせる頻度が丁度幼馴染くらいだ、私と冷チャーは実質幼馴染。

私は幼い頃、よく病気をしていた。何で身体を壊していたのか全く思い出せないが、病院に向かう車窓から見える不気味なサイズの夕日とか、ラベンダー色の空の景色はやけに印象に残っている。診察や治療が終わる頃にはとっくに時間外というのはざらで、夜間救急で診てもらうことも多かった。そんなとき、母とよく夕食を買って帰った。幼い頃は自分の体調が悪いことや疾病の深刻さをよく自覚していなかったので、夜の病院は非日常体験として受け止めていた。要するに幼少期の病院帰りの私は、テンションが爆上がりしていた。真っ暗な待合室にうすぼんやり在るニチレイの自販機が、何億ルクスにも光って見えるくらい魅力的に映った。冷チャーとの出会いである。(ちなみに、ホットスナック系の自販機は見かけると今でもちょっとハイになってしまう。)冷凍チャーハンは確か紙の箱に入って熱々で出てきて、それを付属の他所では見かけない絶妙サイズのプラスプーンで食べるのだが、その食事スタイルがいつものとはかけ離れているため、毎回宇宙飛行士にでもなった気分だった。

というのを、数日前レンジで温めた冷チャーを一口食べるか食べないかの0コンマ数秒の間に思い出したのである。過去の、しかも楽しかった記憶がこんな圧縮データ走馬燈みたいな仕様で表出される体験は初めてだったので、食べ物は偉大だ。


というか冷凍チャーハンが神。

考察(1)

自分が決めた期間のタイムリミットが迫ってきたので、文字書きの練習も兼ねて開設しようと思う。

もういつから好きだったかもわからないけど、3次元に推しが出来た。今まで2次元にしか興味を示してこなかった私にとって、これ以上ない天変地異である。大げさに聴こえるかもしれないが、天変地異という言葉でも足りないくらいである。


さて、普段から一緒にいてくれたり構ってくれたりするありがたい友人たちにはもう知られていると思うが、3次元の推しとは例の彼らのことだ。

正直今でもなぜたくさんの人間の中から彼らを選んだのか、自分でもわからないところがある。そして、もちろん彼らがアイドルであることは、推し(崇拝対象)になった理由には到底ならないと思っている。

彼らについて。
私が一方的に相当な好意を寄せる友人から布教を受けた。それまでの認知度は茶の間以下だったし、なにせ活動期間が長いため今もわからないことの方が多いにわかである。個人的に、ここまで思いつめているのにまだにわかファンであることが現状一番の恐怖である。

冗談抜きに、ここまで美しいものは見たことがないと思った。

彼らは砂の城のような刹那的な美しさを持っていた。とにかく自分の乏しい言語操作能力では表現しきれない宇宙である。そして、こんな汚い世界には不釣り合いだけど、彼らのもつ精密なアンバランスさが、この世に存在するどんな物質よりも自然に溶け込んでいる感じがした。

とても生きているとは思えないが、同時に、生きていないと生み出せない空気をまとっているとも思う。彼らが架空の人物であったら私はなんの魅力も感じないだろう。

さて。3次元に推しがいるということはどういうことなのか、毎日痛感している。朝起きてから寝るまで(正直寝られない)身が持たないのである。しかし、毎朝起きていい事ばかりでもない日々を過ごすためのエネルギーをくれるのも彼らなのでもうよくわからない。つくづく先輩オタの凄さを実感させられる。このものすごいスリルもまた、彼らにぴったりだなあと思う。そして、このスリルこそが、3次元の生身の人間を推す醍醐味である。彼らが彼らの思うように幸せに日々過ごせることを願ってやまない。

そろそろタイトルにもある、彼らを好きな理由を考察してみようと思う。断言できることとして、この気持ちは瞬間で変わっている流動性のあるものである。彼らを好きである時間は尊いものであり、どんな瞬間も絶対に忘れたくないので、その1ピースでも見返すことができるようここに記録する。




①2人であること

これは「2」の重要性は割合としては低いかもしれない。詳しく言うと、ふたりが2人であることが重要なのである。
ソロ活動も見守ってはいきたいところではあるが、不思議なことに、ひとりになるとそれぞれが半分以下になってしまうような気がする…と、現時点では感じている。彼らが2人であること自体、なんだか浮世離れしているようにみえて、その浮遊感がまた彼らをより美しくしていると思う。



②偶像性

崇拝している先輩オタが、アイドルとは希望と絶望の両方を所持しているものだとおっしゃっていたが、まさに彼らがそうであると感じる。むしろ私には絶望成分を少しばかり多く感じさせる。朝と夜なら夜。始まりと終わりなら終わり。絶望と希望なら絶望……もちろんいつもの、すべての彼らからこんな印象を受けているわけでは到底ないが、どちらかに分けるとしたらこう。他のアイドルとは一線を画す彼らが、私にとっては世界で一番アイドル性の強いアイドルである。イカロス、カストルポルックス、ミカエルとラファエル、女神と堕天使(引かれた)。こんなイメージ。



③両極性

どんな人間も二面性を持っているものだが、先に述べたような神話的印象を持っている彼らが彼らの冠番組で見せるギャップの破壊力と言ったらなかった。まだ私の知るところではないが、どうやらライブでも演奏中とMCでこれを味わえるらしい。オタクの生死をかけたロシアンルーレットかよ…最高……円盤でさえ情緒が不安定になりそうである。私がライブBlu-rayを購入した暁には気を確かに係を要請したいところである。ギャラありで。
ところで、両極性、は彼らにも言えることである。2人は似ている所よりも間逆な部分のほうが多いように感じる。最近はそれさえも彼らが精巧に造られたヒューマノイドロボットであることを隠すためのものだと思うようになっているのでもう末期なのだと思う。え、彼らが推しになってからまだ数カ月しか経ってないんですけど…




おわかりいただけただろうか。
最初の記事にはじゅうぶんな文字量のような気がするし、私が正気には見えない(バリバリ正気)こともなんとなく伝わりそうだし、そろそろ推しのラジオ番組が始まる(1時間前)のでとりあえず筆を置こうと思う。また書くことがあれば覗いていただけると嬉しい。